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水戸地方裁判所 昭和32年(わ)167号 判決

被告人 長谷川寛

主文

被告人を死刑に処する。

押収にかかる女物霜降七分コート一枚(当庁昭和三十二年押第五十八号の四二)、女物黒紋入錦紗羽織一枚(同押号の四三)、黒小浜錦紗羽織一枚(同押号の四五)、男物黒七分織羽織一枚(同押号の四六)、白ビニール風呂敷二枚(同押号の四七、四八)、男物ポーラー単衣一枚(同押号の四九)、男物茶銘仙袷一枚(同押号の五〇、右同羽織一枚(同押号の五一)、男物黒呂羽織一枚(同押号の五二)、鉄色銘仙羽織一枚(同押号の五三)、紫チリメン袷一枚(同押号の五四)、女物黒ラシャコート一枚(同押号の五五)、男物黒八端羽織一枚(同押号の五七)、男物黒縞銘仙袷一枚(同押号の五八)、女物メリンス袷一枚(同押号の六四)、女物ジョゼット単衣一枚(同押号の六五)、男物銘仙羽織一枚(同押号の六六)は被害者Aの相続人に、女物水色ババリー一枚(同押号の四四)、女物十型腕時計一個(同押号の五九)、人絹名古屋帯一本(同押号の六〇)、人絹赤長襦袢一枚(同押号の六一)、人絹小豆色袷一枚(同押号の六二は)被害者Cの相続人に、女物銘仙袷一枚(同押号の五六)、女物セル単衣一枚(同押号の六三)は被害者Bの相続人に各還付する。

理由

(事実)

被告人は、肩書本籍地において父長谷川勝一、母同千代子の長男に生れ、中流農家の子弟として成育し、昭和十九年三月同地の飯富国民学校高等科を卒業して家業の農業を手伝うことになつたが、二十才の頃水戸市奈良屋町所在の特飲店で遊興を覚えてよりは勤労意欲を失い、その費用に窮して屡々家財を持出すばかりか犯罪をも犯し、昭和二十八年三月二十七日東京高等裁判所において強盗罪により懲役二年四年間執行猶予に、同三十年三月二十六日水戸地方裁判所において横領、窃盗、詐欺罪により懲役六月に各処せられ、其の後右執行猶予は取消され同年四月より右二刑を浦和刑務所に於て服役し同三十二年二月仮釈放により出所し本籍地の実家に帰つたところ、被告人の行状は更に改まらず、農業を嫌い一時砂利採取人夫、興行の臨時手伝に従事したが、同年六月八日父勝一が一家の為畑を売却して得た金員の中から四万五千円を持つて出奔し、水戸市内等において数日間に之を全部遊興に費消して帰宅したこともあり、その後クリーニング業で身を立てると称し、同月十九日同市柳小路二千九十六番地クリーニング業A(明治三十三年八月九日生)方に外交員として雇われる事になつた。

しかるに、被告人は同月末頃より同市奈良屋町所在の特飲店のなじみの女中の許に足繁く通つて宿泊していたので忽ち金銭に窮し、右Aや知人から借金し、或は顧客より預かつた衣類を擅に売却して金員を工面していたが、やがて遊興費にあてるため女家族であるのを奇貨としAらA方家人を殺害して金品を奪おうとの考えを起すに至つたところ、昭和三十二年七月五日被告人がA方六畳茶の間の箪笥小抽斗にあつたA所有の財布の中から二百円を取出したのを発見され、同人よりいたく叱責され口論となつた結果、ここに被告人はA及び同人の母B(明治十一年六月二十日生)を殺害して金品を奪取しようと決意を固め同日午後一時頃右六畳間に於て、たまたまAが長火鉢にかけてあつた煮立つた薬罐を取ろうとして被告人に背を向けた隙に乗じ、その背後から所持したタオル(当庁昭和三十二年押第五十八号の八七)をとつて同人の前首にあてて仰向けに引倒した上、これを以て強くその首を緊縛して窒息死に至らせて同人を殺害し、更に折柄同人方奥八畳間に就寝中の老いて殆ど盲に近かつた前記Bの右脇よりその首を両手で強く扼した上同所にあつた手拭(同押号の三四)を同人の首に巻いて之を緊縛して窒息死に至らせて同人を殺害し、その直後に前記六畳茶の間箪笥上の小箱よりA所有の十円貨五円貨をとりまぜ計六百二十円位を、奥八畳間箪笥等より同人所有の女物霜降七分コート外女物衣類一点(同押号の四二、四三)、男物小浜錦紗黒羽織外男物衣類一点(同押号の四五、四六)、白ビニール風呂敷一枚(花模様入、同押号の四七)、同人保管の黒霜降赤線入背広上着一着(顧客加納保之所有)、女物水色ババリー一枚(同押号の四四、C所有)を強取し、更に右A及びBに対する犯行を隠蔽すると共に引続き金品を強取するため右Aの養女C(昭和十年十一月二十八日生、当時茨城食糧事務所勤務)を殺害しようと企て、同五日午後七時頃同人が帰宅するのを待受け、前記奥八畳間に於て同人が被告人に背を向けて坐つた隙をうかがい、右斜後から右腕を同人の首に巻いて仰向けに引倒し、その上に乗つて両手で二、三分同人の首を強く扼した上、同人が仮死状態で抗拒不能に陥るとにわかに劣情を催し、同人の下袴を引下げ強いて同人の姦淫を遂げ、同所にあつた手拭(同押号の三五)を同人の首に巻いて緊縛し更に仕事場にあつたタオル(同押号の三六)をもつて同人に猿ぐつわを施し、よつて窒息死に至らせて同人を殺害し、その直後に同人所持の手提籠中より同人所有の現金三百円を、右八畳間所在の机抽斗より同人所有の女物十型腕時計一個(同押号の五九)を強取し、更に翌六日午前七時過頃、前記被害者三名の殺害を遂げた儘の右A方に於て、前記六畳茶の間押入内の行李等より右A所有のビニール風呂敷一枚(同押号の四八)男物ポーラー単衣外男物衣類七点(同押号の四九、五〇、五一、五二、五三、五七、五八、六六)、女物紫チリメン袷外女物衣類三点(同押号の五四、五五、六四、六五)、右B所有の女物銘仙袷外女物衣類一点(同押号の五六、六三)、右C所有の人絹名古屋帯外女物衣類二点(同押号の六〇、六一、六二)を強取したものである。

(証拠)(略)

(法令の適用)

法律に照すと、被告人の判示A、同B、同Cに対する各強盗致死の所為はいずれも刑法第二百四十条後段に、Cに対する強盗強姦の所為は同法第二百四十一条前段に各該当するところ、右Cに対する強盗致死と強盗強姦とは一個の行為にして二個の罪名に触れる場合であるから同法第五十四条第一項前段、第十条により重い強盗致死罪の刑により処断することとし、以上被害者三名に対する各強盗致死罪は同法第四十五条前段の併合罪であるが、右Cに対する強盗致死罪の所定刑中死刑を選択して同法第四十六条第一項本文に則り他の刑を科せず、被告人を死刑に処し、主文第二項記載の押収物は被告人が本件各強盗致死の犯行により得た賍品で被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法第三百四十七条第一項により主文第二項掲記の如く被害者らの相続人に還付し、訴訟費用は同法第百八十一条第一項但書により被告人に負担させない。

(法律上の主張に対する判断)

弁護人中島宇吉は、被告人は後記鑑定人古川復一の鑑定主文記載のように幼時罹患した栄養失調による脳症のため精神の発育に異常があり、現に精神薄弱者で結局本件犯行当時も被告人は精神障碍の状態にあつたから、刑法第三十九条第二項に所謂心神耗弱者に該当し刑を減軽さるべきものである、と主張する。よつて審案するに医師古川復一作成の昭和三十三年四月十二日付鑑定書、同人作成の同年七月二十一日付精神鑑定書補足、証人古川復一の当公判廷における供述、証人綿引忠夫、同大和田穰、同浜名喜美江、同檜山文一、同鈴木進、同大津政治、同柴田とめ、同関衛、同橋本とよの当公判廷における各供述、手紙一通(昭和三十二年押第五八号の八六)学籍簿二冊(同押号の八八、八九)訓練簿一冊(同押号の九〇)、被告人の当公判廷における供述と前掲各証拠を綜合すると次の事実が認められる。まず医師古川復一作成の鑑定書中には、被告人に対する精神鑑定の主文として左の記載がある。

「一、現在の精神状態

被告人の現在の精神状態で異常と認むべきは、軽度ながら精神薄弱の存在することである。

即ち被告人の知能は常人の知能の下限と軽症痴愚との間にあり、又道徳感情に欠ける所が多く犯罪を犯しても深い罪悪感に乏しい。此の外軽症痴愚に近似の多くの精神症状を具備している。

被告の精神薄弱は、出生後間もなく罹患した栄養失調から来た脳症に由来し、幼時より存在したものであるが、青年となつて充分な監督をする者がなくなつてからは独立する能力に欠け、周囲の環境に順応できず、次第にその欠陥を露呈するに至つたものである。

現在も此の精神薄弱の状態は持続している。

二、犯行時の精神状態

被告人が被害者Aを絞殺した時は、精神薄弱の状態を除き、特別の意識障碍を認めず、僅かに被害者Aに難詰されたことによる多少の感情興奮を認めたに過ぎない。よつて犯行は現在も尚存在する処の精神薄弱の状態においてなされたものと考えるべきである。即ち犯行時被告人は是非善悪を弁別する能力が常人より劣り、道徳感情に乏しく自己中心的な性格があり、これらによつて犯行はなされたものである。

B、Cの殺人は被告人の知能の浅薄なる判断力により、犯罪の発覚を惧れての副次的行為である。

この時もAを絞殺した時と大差のない精神状態であつた。」

よつてその鑑定の経過を見るに、鑑定人の問診に於ける被告人の応答はハキハキして一見常人の印象を与えるものであつたが知能検査成績が意外に悪く問診も仔細に行うと必ずしも常人と見られない節があつた。更に被告人の学校の成績を検討し、その学習能力は小学校三、四年が限界であると断じ、又本件犯行及び犯行前後の行動が常人の行動でないとし、かような精神発育制止の生物学的原因は被告人の幼児期の病気であるが、結局被告人は知能はIQ七十四の能力であると見て三宅鉱一博士の精神薄弱の分類標準によつて被告人を軽症痴愚と判定したものである。被告人の知能検査の結果は脳研式検査で百点満点で得点二十三、田中ピネー式検査でIQ七十四(知能年令十一年二月であつて、知能の各部分の検査方法である(イ)記銘力検査、(ロ)ブルドン注意力検査、(ハ)クレペリン連続加算、(ニ)連想試験に於ては(ハ)クレペリン連続加算の計算能力が甚だ劣つた外は、常人より稍劣るが病的と認められる程度のことはなかつた。(ホ)ロールシャッハテストに於ては「知能は正常内であるが限界に近い、特に抽象的綜合的能力に欠け、具体的現実的知能は良い。従つて社会生活は全く普通に営めるものと思われる。極平凡な調子はよいが深味のない人格である。」と認められた。尚右諸検査の正確性は被告人の受験態度の誠意如何にかかると思うのであるが、右田中ピネー式検査(ニ)連想試験に徴し、被告人の受験態度は努力が足らず、又注意力も散漫であつたと推測されること、農村青年が知能検査に甚だ不得手であることを考えると被告人の実際の能力は右検査の成績以上であると判断されるものである。次に問診の結果を検討すると数学的応答に於ては常人に劣ること明かだが、簡単な計算は大体に於て可能であつて、数学的事項以外の不良な応答は、具体的な事柄自体は理解しているが之が説明力を欠くもので、抽象的能力の不足を示すものである。被告人の学校成績は学籍簿(証人綿引忠夫の証言により尋常六年高等科一、二年の優、良上、良、良下、可は、旧制の十点満点法による九、八、七、六、五点に換算して成績を算出した。)によつて同年級男生徒の成績と比較して見ると、被告人は小学校に於ては一年11/45(四十五人中十一番以下同じ)二年19/44、三年19/42、四年34/42、五年34/40、六年22/36、高等科に於て一年25/37、二年24/37で中又は中よりやや下廻る程度とみられ、只図画がよく数学の不成績が目立つが数学は被告人の順位としてはその前後の者との比較に於ては特に劣つていると謂えない。被告人の性格徳性等に付ても、特に変つた点はなく、教師の印象に余り残らない平凡な生徒であつた。鑑定人は六年になつて成績がよくなつたのは、成績の連続性から見て普通でないので、当時被告人の父親が居村役場の助役をして居たことから、担任教師が作為を加えたのではないかとの推測の下に、六年以後の成績を信用しないのであるが、かかる疑惑の事実は証拠上認められない。

鑑定人は本件犯行及び犯行前後の被告人の行動は、普通人の知能及び感情からして変つていると考えざるを得ないもので、之は思考力及び判断力の低下に基く精神薄弱の一部分の症状と見るのであるが、被告人が犯行後被害者方に数日を過した点は感情の鈍麻があると考えられるが、他方被告人が隣家相接している被害者方に於て、白昼A、同Bを相次いで殺害し、更に同日夕刻Cを殺害したが、何れも全く近隣に気付かれずして之を遂行したこと、その後右殺害を近隣に匿す為家業の洗濯仕事をなし、或は近隣の婦人に特に挨拶する等して自首する迄四日間完全に匿し通したこと、又賍品の質入に付ても、自己の身分を証明する為被害者A方の主要食糧購入通帳を変造してその目的を遂げたこと等は、ロールシャッハ、テストに現われた具体的現実的知能の良いことを思わせるものであつて、彼此考慮に入れて全般的に見るとき、深い思慮の欠けていることは明かだが、被告人を常人に非ずと人に思わせる程、知能の低劣さを示して居るものとは謂えない。

被告人は警察署及び検察庁に於て判示同趣旨の供述をしながら、第一回公判廷に於て犯行を全部認めて動機丈否認し、客から預つた品物を売つたのをAに叱られて憤慨したのが原因であつて、計画的犯行でないと供述し、第二回公判廷に於て強姦の既遂を否認し、未遂であると供述し、其後の検証の指示或は公判廷の被告人尋問に於て被害者三名の殺害方法に付て有利に変更した供述をなして居る。鑑定人は右犯行動機の供述の変化に付て被告人の知能の程度では犯行が計画的か突発的かによつて刑量がどの様に相違するかを考えるのは難し過ぎるとして、右供述変化は利害の打算に基くものでなく日時の経過による記憶の変化によると見ている。然し被告人は第十回公判廷における最後の被告人尋問で、被害者三名の死体の法医学的鑑定の結果が公判廷で変更した殺害方法の供述に甚だ不利であるのを知り、殺害方法は警察署及び検察庁における供述が真実であると認め、その際強姦も既遂であると認めるに至つた。それならばこの点に関する従前の供述変化は記憶の変化に基くものでなく意識的な作為による供述変化であることが明かである。更に犯行動機の供述変化はその以前の第一回公判廷で行われたことを考えると、その変化も記憶の変化に基くとは謂い難いもので、犯行の供述変化と共に一連の刑期に関する利害打算によるものと認める外はない。尚被告人は鑑定人に対しても当公判廷に於ける最初の供述変化と同様の供述を繰返し鑑定人より何回かその供述の真否を確められても公判廷の供述が真実であると一貫して答えて居る点は公判廷に於ける被告人の権利の防禦に付て相当の理解を有し且之を実行する能力を持つて居るものと見るべきである。以上の次第で被告人の公判審理に於ける供述の内容及びその態度からは鑑定人の評価以上の知能を看取しない訳には行かない。

被告人の過去の経歴を見るに学校生活が前段認定の通りである外学校卒業後畑一町三段田三畝歩を母と共に数年間勤勉に耕作した時期もあり、又最近は砂利採取を一月程よく働いたこともあつて農事或は砂利採取程度の日常の仕事は普通に為し得ることが認められる。又計算能力は劣るがそのことが金銭の取扱その他日常生活に支障を来して他人の注目をひいた事は認められない。現に本件賍品を古物店一軒質屋三軒に処分して居るがその売却或は質入の言動は何れも普通人と何等異つたことがなく、金銭の取扱に於ても誤を見出されて居らない。被告人は判示前科の犯罪を犯して居るが同人を熟知した両親、学校の教師達或は近隣者からその知能の低いことは気付かれても常人であることに疑を持たれたことはなかつた。鑑定人の見解からしても今回の犯罪を犯さなかつたならば精神薄弱者と遇されず、一般人の頭の悪いものと考えられて過ぎたかも知れないと見て居るのである。

精神薄弱の分類は知能指数或は精神症状等何れの基準によるにしても全く臨床的、便宜的なもので、学者により国により差異があるので、鑑定人はこのことから被告人の知能を常人の下限と軽症痴愚の中間にあると見たのであるが、主として被告人の学業成績、本件犯行及び犯行前後の行動に現われた道徳感情其他の精神症状が三宅博士の軽症痴愚の症状に近似するところが多いので軽症痴愚に近いと認定したものである。

IQによる精神薄弱の分類は三宅博士では標準最も高く痴愚50―80(軽症70―80)魯鈍80―90であり独逸では痴愚35―75魯鈍75―85アメリカでは痴愚25―50魯鈍50―70限界線の欠陥70―80水準以下80―90、英国では痴愚35―55魯鈍55―75諏訪望では痴愚25―50魯鈍50―75としている。よつてIQ74以上である被告人は三宅博士の標準によれば軽症痴愚、独逸の標準によれば軽症痴愚と魯鈍の境界線、米国、英国、諏訪望の標準によれば魯鈍と常人の下限の境界線と認められる。

次に被告人の精神症状を検討するに三宅博士は普通人は概念作用、推理、応用の力などが凡て完全に発達すべきものと前提し、その前提の上に及ばざるものを病的の低能とするものであるから、その正常概念は平均規範でなく価値規範であつたと考えられる。(三宅博士著「精神鑑定例」七六頁参照)カール、ヤスペルスはウイルマンスの「正常とは軽い精神薄弱である」との言葉を論理的に解明して「知的天賦の規範概念に従えば大多数者は軽く精神薄弱的である。だが平均値というもの、大多数者がもつ特性というものは、健全なるものの標尺でありそれゆえ軽度の精神薄弱は健全である」と述べている(古川復一作成の鑑定書九十七枚及びヤスペルス著精神病理学総論(岩波版訳本)下巻三四三頁参照)。本件に於て鑑定人は被告人を軽度の精神薄弱者と認定し、他方両親、教師、近隣者は同人を頭の悪い常人と見る対立が生じた主たる原因は、鑑定の前提である三宅博士の正常概念が平均規範より程度の高い価値規範によつている為であつて、此の対立の解明を右カール、ヤスペルスの精神薄弱の疾病概念の矛盾の説明に見出しても敢て不当ではないであろう。そうすればかかる矛盾の生じない平均規範によつて判断すべきであるところ、日本青年の平均知能年令が十二才〇・五月から十三年二・五月の間にあることを考えると、実際に平均規範としての精神的正常性の下方限界が思いのほかに低劣であるのを知るのである。よつて被告人の精神症状の正常性の判断の規準は鑑定人の採用した三宅博士の標準より下げて然るべきであるので、被告人の学業成績、本件犯行及び犯行前後の行動は必ずしも被告人の正常性を否定するものでないとの前段認定の観察が生じるのは故なしとしないのである。更に鑑定人の公判審理に於ける被告人の供述変化に対する評価からすると、鑑定人の精神症状の観察は標準の如何に拘らず被告人の能力を少し低く見過ぎている傾もあるので、被告人の精神症状は少くとも精神薄弱と常人の下限との境界線を下ることはないと認めて相当である。この結論は前記IQの知能指数の判定に照すと米国、英国、諏訪望の標準による判定によつて裏付けされることが明かであり更にロールシャッハ、テストの結果によつても支持せられ又被告人を熟知する者の常識とも合致するのである。被告人の道徳感情其他の精神的機能は知能相応の低下が認められるが別個に精神病質の存在を認めねばならぬ程著しい欠陥は存在しない。そして被告人は犯行時多少の感情興奮があつた以外は平常の精神状態と変りなかつたと認められるから、当時事理を弁識し又その弁識に従つて行動する能力に著しい障害があつたものと謂えない。然らば被告人は本件犯行当時心神耗弱の状態になかつたものであるから弁護人の前記主張は採用しない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 小倉明 浅野豊秀 内田恒久)

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